<東日本被災地視察交流会>~旧大川小学校視察編

<東日本被災地視察交流会>2日目。朝8時に『キボッチャ』を出発です!

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着いた先は、『旧大川小学校』。東日本大震災が起こったあの日、海からの津波と川をさかのぼった津波に襲われ、児童74人、教職員10人が犠牲になるという痛ましい悲劇に見舞われました。

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ここでお話をいただくのは、語り部の佐藤敏郎さん。石巻市のお隣女川町で、中学校の先生をしていた時に、ここ大川小学校に通っていた小学6年生のお嬢さんを亡くしました。

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「ここは特別な学校だったわけじゃない。子ども達が一輪車で遊んだり、行事の時は地域の人で満員だったり…そんな普通の学校だった。」扇形の校舎は、今見る限りでも、とてもモダンな印象です。ここで子ども達は笑い、学び、楽しい学校生活が、これからも続くはずでした。

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津波の爪痕が残る天井や、崩れ落ちた渡り廊下を案内していただきながら、佐藤さんのお話は続きます。

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あの日、大地震が起こり、子ども達は50分もの間、校庭で先生方の指示を待っていたこと。避難しようと向かった先から、津波が襲ってきたこと…。「子ども達はどんなに怖かったか。先生達は子ども達を守れずどんなに悔しかったか。」

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学校の裏山に上り、「あの日この風景を見ることができたなら、みんなは助かっていた。」とお聴きしました。「ここに山があるから助かるんじゃない。命を救うということは、この山を上るということだ。」その時の判断と行動が命を救うんだ、というお話を、小国の子ども達はどのように感じていたでしょう…。

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最後に佐藤さんがお話してくれました。「みんなが、“大川小学校ってどんな所だった?”と聞かれたら、”未来を拓く場所だったよ”と、伝えてほしい。ここはかわいそうな場所かもしれないけれど、ここから何かが始まる未来の場所になる。」

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今、情報を集めようと思えば、いくらでも調べることはできます。けれど、その目で見て、聴いて、感じられる思いが、確かにあると思っています。どうかその思いを、頭のどこかに置いておいてほしいと願っています。

このあと、『雄勝ローズファクトリーガーデン』へと向かいます。

(報告者  山田・佐々木)

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