1.17 被災地間交流で神戸に行ってきました。

阪神淡路大震災から21年、神戸の街はいまどうなっているのだろう?

震災のことは知っていた。でもまだ3歳だった私は、ニュースで流れている映像の意味がよくわからない。

中越大震災から11年、山古志はとても平穏な毎日。

震災の時は中学2年生、ニュースで流れている場所はどこなのだろう?そう思いながら無関係な場所。

東日本大震災から今年で5年、みんなはどうしているのかな。

ベトナムの山奥、ホテルのテレビ画面には暗い空に暗い水。そして友達の実家がある土地の名。

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不思議なご縁で山古志に来てから9か月、被災地間交流ということで神戸に行ってまいりました。初めて行った神戸は想像以上の大都会、そのところどころに防災・減災の工夫がされた街。沢山の人が行きかう華やかな街中に、震災の記憶がちらほら。

中越大震災のときから交流がある地区の方との交流会では、色々なおはなしを伺うことが出来ました。

「神戸は大きな地震もなくて住みやすいいい街だね」そう話した翌日に被災した。

「バケツで7時間以上水を運び続けた」火が回る恐怖。

「水をくむのに必要だ」持って出た鍋がとても役に立った。水が優しさで豚汁になった。

「消防車や救急車のサイレンの音が今でも怖い」

その記憶はとても鮮明で、きっと1.17が近づくと紡がれる言葉たち。

日吉町では住民の入れ替わりも多く、当時から住んでいるという人は少なくなってきているそうです。そして震災を経験している住民は21年分歳を重ねています。大々的にではなくとも、継続していくことに意味はある。ただそれがすごく大変なことなのだと考えさせられました。

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[↑↑追悼式の様子&山古志の童地蔵様にご挨拶]

東遊園地追悼式会場では震災ガイドの取り組みや、追悼式が高校生ボランティア等沢山の人の手を借りて運営される様子を見ることができました。

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神戸の街は沢山の人にあふれていますが、どのくらいの人が震災のことを知らないのだろう?ふとした瞬間に思い出している人はどれくらいいるのだろう?もう21年?まだ21年?そういった様々な疑問が頭を過り複雑な気持ちです。

「震災がなければ生まれなかった交流が、今も続いていることがありがたい。」そう言った彼らの前向きな姿に、支援員として山古志の皆さんと関われることのありがたさを実感しました。

記:臼井

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